ここはオレのゴミ屋敷!

SFと読書感想・古物・古書などの事を書きますが、たいがいは取りとめのない話が中心になります。。

最近は映画を観ていない……かも

ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]

突然だが、自分は映画ブロガーと言いながら、最近は映画館で最新作を観切れていない。ここんところは自ブログでは旧作ばっかり。

でもまぁ、映画は観ているし、この社会状況で自分の行動範囲はグッと狭まったのは確かだ。二年前なら、ちょっと遠出をしてでも観たい作品は観ていたのだが、感染対策の基本である、あまり動かない。を実践しているので観るのは歩いて直ぐに行けるアニメ中心に掛けているシネコンか通勤途中にある話題作・人気作を掛けているシネコンで鑑賞するしか無いので、いそいそと観るのだが……寝落ちする(汗)

最近だと、『ジェントルマン』とか『ファーザー』とか『クルエラ』とか必ずどこかで寝落ちしてしまう始末。もちろん寝落ちと言っても時間内いっぱいてのはなく、せいぜい長くて5、6分程度なのだが寝落ちは寝落ちだ。

これが自宅なら、リピートアフターミーなのだが、映画館ではそれもできず、いや、気に入りそうなのは、やはり再度観るが、この上映スケジュールが恐ろしく制限されている状況では、それも難しくなっている。

でも、『るろうに剣心』とか『Fate/Grand Order』の最新作は観れちゃったのだよな。でも、この作品はあくまでもファン向け作品だし語るのが難しい。

でも、ここでやっても良いかも。考えておこう。

言い訳になってしまうが、と言うよりも言い訳そのものだが、昨今のシネコンは寝るのには最適な環境だ。適切な温度管理、適切な空調設備、そして長時間座っていても身体か痛くならない座席等々、寝落ちするには完璧な環境設定になっている。マジで。

一昔は空調の音はそこはかとなく聞こえてきたし、座席も硬かったから寝落ちなんて相当に疲れていないとなかったものだ。そんな中でも猛者はいて、堂々といびきをかいて眠るオジサンもいた。今や自分がそれに入った訳だか。(いびきはかいていない、と思う)いかに環境が改善されたのが実感できる。寝落ちしているから。

あと、やはり観て置くべき作品を中々観る事ができない。例えば『JUNK HEAD』がテリトリー外で掛かっているのは知っているが、もう諦めている。

今回はそんな愚痴を書いてみました。

とりあえず自分のブログも貼っときますね。
https://eizatuki.hatenablog.com/

最近、読んだ映画本をただ並べる!

お題「我が家の本棚」
ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]

な~ンにも書くことが思いつかないので、ここ半年弱で読書した映画関係書籍の感想だけを書きます。

90年代から2000年代を中心にして著者井中カエルが書いた本書はアニメ評論というよりも、あの時ファンに纏わりついていた「気分」というべき曖昧模糊とした感情・感覚というべきモノで、それが上手くパッケージされているのに感心した。こうゆう本って時代が重なるごとに価値が高くなるタイプだね。

自分のブログで、ジャン=ピエール・メルヴィル監督『賭博師ボブ』を観たあと「なんじゃギャグかよ!」と困惑したので、久しぶりに読んでみたら、アッサリ解説されていたので、拍子抜けした思い出が。あと『サムライ』にも使ったけど本書が面白いのは作家矢作俊彦とアニメ監督押井守との『リスボン特急』の解説なんだよね。

また、また、自分のブログで『捜索者』の感想らしき何かを書こうとしたら、スグに壁にぶち当たったので、アンチョコとして使用。それで何とかまとまった(汗)『捜索者』については、グレン フランクル著『捜索者: 西部劇の金字塔とアメリカ神話の創生』という有名な書籍があるのだが、感情が引っ張られそうで、怖くて読まなかったんだよね。

昭和ガメラについて何か書こうと、久しぶりに思い読み始めたのだけれども、ワンマン過ぎた故に時代の波に乗り遅れてしまった男の一代記みたいな感じ。あと、やはり直営館こと土地を持っていた方が良いかな(笑)。

国策映画といえば、古川隆久著『戦時下の日本映画―人々は国策映画を観たか』をサラッと読んだ程度だったので本書はひとつの国策映画誕生秘話として読んだのだが、自分の中でまだ感情が定まっていない所がある。ただ確信しているのは円谷英二特技監督にならなかったとしても撮影でそれなりに名を残したかも知れないという感情か。

自分のブログに本多猪四郎作品の感想を3作書こうと、読み直している最中。

以上、こんな感じです。

『特撮の空』は僕らのふるさと

お題「我が家の本棚」
ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]


空に浮かぶ雲を見るのが好きな人は結構にいるだろう。他から捻くれた感性を持っていると自覚しているオレですら、ぼーっと雲を眺めることは好きだ。そして、空に浮かぶ雲は、思い出と一緒に刷り込まれているのが多々ある。いわゆる原風景だ。

そして特撮作品を愛好するものにとって島倉二千六の背景画は子供の頃に見たソレと同じと言っても良い。怪獣、ホラー、SF、ヒーロー、戦争等々。彼の風景画を観ていない者はいないからだ。

特撮の空 島倉二千六、背景画の世界

特撮の空 島倉二千六、背景画の世界

なので、この自伝は買わずにはいられない。だから、買った、読んだ、そして感想だ。

目次 ↓
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内容は島倉が手掛けた作品の紹介と(だから本書は写真集や絵本で見るような横長) と各映画関係者のコメントと背景画家としての半生をインタビュー形式で語る構成になっている。

まず、作品の紹介だが、そのバリエーションの豊かさにあらためて圧倒された。ゴジラウルトラマン、戦争作品での馴染みの風景から、『宇宙大戦争』や『宇宙からのメッセージ』などの地球に纏う雲。『惑星大戦争』や『さよならジュピター』などの地球以外の雲。雲でも変わり種ともいえる『零戦燃ゆ』と『ガメラ 大怪獣空中決戦』の真上からの雲。そして大林宣彦作品や黒澤明作品の赤い雲 等々。

でも、インタビューにはあったのだが写真としては掲載されていなかった『首都消失』があったらいいのにな、とは感じたけども。あれは文字通り雲が表に出ている作品なので。

そしてインタビューで得た気づきなのだが、東宝特撮の中野昭慶川北紘一の悲劇の捉え方が違うという島倉の指摘だ。確かに中野の空はどんよりとしているし、川北の空はどちらかというと明るい。両者のドラマの考え方と根本としての違いを再確認した。

コメントでは小島耕司[特美 背景部]の所が印象に残った。うん、そうでなければ、あの様な空は書けないよな。

あと、本書の帯に推薦文を書いている、『エヴァンゲリオン庵野秀明の人柄についても語っているが、オレと君たちの想像どおりだ(笑)

いやいや、眼福でした。お宝にします!

『さよならジュピター』で誰もが見逃している話

お題「我が家の本棚」
ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]

さよならジュピター (徳間文庫)

さよならジュピター (徳間文庫)

現在大ヒットしている某アニメ映画でアノ曲が流れて以来、急に浮上した、映画『さよならジュピター』。

映画『さよならジュピター』とは『日本沈没』や『復活の日』などの作品を持つSF作家 小松左京が自著を自ら映画化したモノだ。

物語は2125年、太陽系に進出した人類と地球に住む人々との軋轢がある中で、開発中の火星で偶然に発見した地球外文明の痕跡が、プロジェクト「太陽化計画」が進行している木星の中に存在している、謎のジュピターゴーストのを示していると、その一方で太陽系に向ってくるマイクロブラックホールが観測されて、主人公等は否応なしに人類最大の危機に対処する計画に参加する事になるが、そこに過激な自然保護団体、ジュピター教団が計画を阻もうと妨害工作を仕掛けてくる流れになっている。

この作品が制作発表された際は、ハリウッド並のSFXが観られるかもしれないと、その期待も大きかったらしいが、いざ公開されると、すぐさまヘッポコ作品で失敗の烙印を押されて、今でも批判的に語られている映画だ。その要点は……

① ジュピターゴーストの件はいらない。
② ジュピター教団の件はいらない。

この2点だ。つまり、単純にブラックホールと人類との対決だけを描くべきだった。と言う批判。

因みに自分の映画の評価は内容のスケールが予算の身の丈に合わないプロデュースを失敗した作品。と言うところなので、それに賛成!……と、言いたいところだが、小松の原作を読んでしまうと、実は上の2点が『さよならジュピター』のキモなのだという事が見えてくるので、「小松先生は絶対にそこは外さないだろうな」とも、オレ考えているのだ。

実は『さよならジュピター』とは、あの日本人でも名前くらいは知っている、SF作家アーサー・C・クラークの『2001年宇宙の旅』のカウンターとして書かれているからだ、つまりは「反2001年宇宙の旅」の位置として『さよならジュピター』はある。

2001年宇宙の旅』の内容を語るのも、今更なのだが、かい摘んでゆくと、生物の進化を加速させる、神の様な高次な存在であるモノリスと人類との関わりを描いた作品で、後に3作も物語がある一大叙事詩とも言える物になっている。その反論として書かれたのが、本書であり、映画なのだ。

その裏付けとしてあるのが、小松はクラークの作品群の中でも『幼年期の終わり』には批判的なのだが、別のクラーク作品『太陽系最後の日』には肯定な意を示しているから。『幼年期』は『2001年』と同じで、人類の進化を高次の存在が導く話になっているが、『太陽系』の方は太陽の爆破で地球に存在する知的生命体を保護するために異星人達が救助をしようと地球にやってくるが、そこに知的生命体こと、人類の姿は無かった。どうやら人類は自らの力で宇宙船を建造して未知の大宇宙へと旅を始めたらしい事実を知った異星人達は人類という種に驚嘆する話なのだが、ここまでピンと来た人は『さよなら』とは『太陽系』の裏返しなのだと気が付いたはず。

だから、ジュピターゴーストの件は省略出来るはずも無いのだ。それにSFの視点からも、木星の質量で軌道を変える事ができるブラックホールなど自然発生する訳が無く、だから地球外文明の設定は必要になる。

つまり本書は宇宙へと進出した人類という種のバイタリティを描いているのだ。


なので、ジュピター教団の件も、宇宙との対比でどうしても必要となってしまう。この部分を描かないとバイタリティの所が弱くなってしまうからだ!

ジュピター教団とは自然を愛しているからリベラリズムと認識されがちだが、宇宙の視点(SFの視点とも言って良い)を插入すれば、それは保守的な考えになるから。

だけども、小松は「愛」という視点で、そういった考えを頭から否定はしない。だから、イルカのジュピターの歌が惑星のジュピターへの哀歌へと変換する。させるのだ!そして、これもまた「反2001年宇宙の旅」なのだ。

ここまでで解るのは小松左京という作家はロマンティストだという事実。それも途方もなくロマンティストというべき顔である。

映画『さよならジュピター』のセリフで森繁大統領が「人類の智慧と勇気に祈りたい」と呟くと側近が「祈りではなく、賭けたい。では?」と問いかけると、森繁大統領は「やっぱり祈りたい」返すシーンは小松左京がロマンティストである証明にもなっている。それは、「神話・伝承、古典・通俗などのすべての文学がSFの視点からは相互に等価とみなせるだけではなく、科学的シミュレーションや歴史の相対化もSFは取り込める」と指摘して「SFは文学中の文学である」、「SFは希望である」と断言した小松の文学者としての信念であり、矜恃でもある。そして人類こと人を信じる小松文学の根幹なのだ。

だから、この部分を抜いて映画『さよならジュピター』なぞ成立しないし、そんなものは小松左京作品ですらないのだ。

以上、これにて終了。

恥ずかしながら、これも貼っておきます。
eizatuki.hatenablog.com

オレとエヴァンゲリオン

お題「ゆっくり見たい映画」
ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]

オレがまだ学生だった頃に放送されていた話題のアニメが『新世紀エヴァンゲリオン』(以降、TV版と呼称)だった。

その時すでに『王立宇宙軍 オネアミスの翼』、『トップをねらえ!』、『ふしぎの海のナディア』のアニメスタジオガイナックスの作品のクオリティは知っていたし、これを観ずにSF作品を語るべからずな雰囲気もあったのだが、哀しかなオレの住む地方都市にはテレビ東京のネット局に入っていなかった。

もちろん、当時は、まだネット配信などなく衛星放送も有料が二社しかない時代だ。そんな状況で局外の番組を観る方法は二つしかない、地元民放局に番組を放送してもらうように嘆願するか、レンタルビデオで観るかのどちらかだ。だからオレはTV版をレンタルビデオで観るしかなかったのだが、やはり超人気作なので、いつもソレは貸出中。結局、全話観終わったのは最終回から1年過ぎてからだった。もちろん、あの大ムーブメントを横目でながめながらである。

しかも、その直後に劇場版『シト新生』と『Air/まごころを君に』(以降、旧劇と呼称)を観ているので、ようするにTV版の「おめでとう!」も、旧劇の「巨大綾波」をほぼ同時に体験してしまつ。

つまりは、オレはエヴァの盛り上がりをリアルタイムで他の人と感動を共感するタイミングを尽く外してはしまったのだ。だから、エヴァに対しては本来ならドハマりする世代のはずなのだが、どこか冷めているのだ。

だから、他の皆が考察であーだこーだでやっているのとは別にTV版&旧劇に対するオレの考えは、べつにある。それは日本の挫折系青春ドラマをアニメでやってみた。みたいなヤツだ。

挫折系青春とは若者が社会の現実に打ちのめされて破滅してゆく様を描いているもので70年代から80年代にかけて存在したジャンルで、最近なら草彅剛主演『ミッドナイトスワン』がそれに近い。これをアニメとして描いたのがTV版であり旧劇なのだ。やたらに性を意識した描写が印象に残るのはそんなところだ。

そんでもって、登場キャラのそうゆう作品に寄せているのではないかと考えている。例えば、葛城ミサトは色っぽいので松坂慶子がモデルとか、惣流アスカラングレーは生意気で性的暴行で破滅するので森下愛子がモデルで、綾波レイはアンニュイな雰囲気なので桃井かおりがモデルだろうと。そんな感じ。

だから、ロンギヌスの槍とか、人類補完計画とかはドラマの中心ではなくて、ザックリと言えば物語を進めるためだけのマクガフィン程度。

ただ、途中でエヴァとは庵野秀明の心境を描いているのてはないのかと考え直してはいる。それは庵野秀明自身が、自分には宮崎駿押井守のような語るべき思想や哲学が無いと言っているから。だからTV版&旧劇はあの時の庵野秀明の心境を語っていたのかもしれない。

それを踏まえたのなら、今回の劇場版である新劇は現在の庵野監督の心境が語られるのだろう。それを単純に考えれば「NERV=ガイナックス」対「ヴィレ=カラー」の公式が成り立っているから、その方面なのかもしれない。

そして、その仮設が正しかったとしたら、庵野監督に今後また心境の変化があれば、再びエヴァを作りそうな気もオレはしているのだ。

麒麟がくる

お題「気になる番組」
ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]

私事でチョイと古い話だが、父から電話があった。そして2020年大河ドラマの批評。というよりも自分に不満をぶち上げた。

家は祖父が勧善懲悪のチャンバラの大ファンだったのに対して、父は歴史的人物を題材にした歴史時代劇を好んで観る人だ。そしてオレはSFへと進む捻くれ者という、一般的な家族関係だとも言える。

だから父もオレはそんなものには興味は無いと考えていたらしいのだが、別れた伴侶が別れる前に、ついポロリとオレが観ている事を口走ってしまってから、それから大河ドラマ批評という名の不満のはけ口を受けるハメに。

それでも毎回・毎週・毎年という訳でもなく、例えば2016年の『真田丸』は毎週電話で聞かされたのだが、2017年『おんな城主 直虎』2018年『西郷どん』はチョボチョボ、2019年の『いだてん』は会った時だけ一言二言程度だったので、だからそれは自身の歴史知識と照らし合せて批判してくる仕様なのだ。 -- でも、その知識も小説からの怪しげなものからなので、推して知るべし!

そして、今回の『麒麟がくる』は毎週たくさん批判を聞きましたよ。(笑い😂)

そして、父の世代にあるあるの豊臣秀吉ファンなので、ここでの秀吉の扱いにオカンムリ状態。最終回の秀吉が(細川) 藤孝との密通し合っている件と秀吉の反応と対応には黒田官兵衛を持ち出してあーだこーだと。

まぁ、オレもその辺りは唐突に感じて、「池宮彰一郎 本能寺」にも書かれていた説を使ったのかな?とは感じたが。

ただ、最近の大河ドラマ歴史小説は使わず脚本家によるオリジナルが中心になっているので、展開を講談調とか、資料を使っての新説・斬新解釈ではなくて、資料と資料との間にある語られない隙間を使ってドラマを繰り広げる趣向になっているので、父の様なオジイサン世代には楽しめきれていないのかもしれない。

それでは、オレはこれをどう見たのかと言えば、シェイクスピアの戯曲『ジュリアス・シーザー』みたいだったな。が感情としては近い。ここの主人公はシーザーではなく彼を殺したブルータスにあるからだ。つまり、信長→シーザーであり、光秀→ブルータスな感じ。

国内の腐敗を改革してゆくうちに権力を上り詰め、それに怯えるところもだ。


ただ、ここでは、フィリッピの戦いを連想するところまではいかないのが、『ジュリアス・シーザー』とは違うオリジナルというべき味なのだろとは思う。改革は間違ってはいなかった。と訴えたのだと。

つまり、麒麟がすべての腐敗や不信を燃やし尽くして、新たな世になる土台を築いた。と考えるべきとも。

やっとタイトルに繋がった。(苦笑)

君の心が戦争を起こす

ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]

物凄く遅れてのあけおめ!(または旧暦用)

他に語ることはないのでさっさと本題にはいる。

『君の心が戦争をおこす』という本がある。著者は羽仁五郎。映画監督羽仁進の父でもある。

その思想的な立ち位置はマルクス主義を表明し、学生運動明治維新は農民一揆からはじまったや、1968-1970年当時の学生運動を支持したことから、左派思想人であるのは用意に分かる。

個人として、いくつかの著作、例えば代表作『都市の論理』とかかじってみたが、数ページであきらめてしまった思い出がある。難しいというよりも、当たり前なのだが、文章が固くて読みにくい。ようするに初心者向ではなくて、ある程度の知的錬度が高い人向けの印象だ。

そんな羽仁が、一般に向けて分かりやすく自身の論説を述べたのが本書だ。その内容は権力とそれに付随する何かしらに対する批判と、それらの同調圧力と言われるものに独自の理論で対抗するようにする呼びかけになっている。

さて、ネットでは「ガンダムは戦争賛美だ」と本書で書かれていて、それが批難されたり、またその擁護みたいなものもあったのだが、実は本書にはガンダムのガの字も出てこないのだ。

ちなみに、それに近いのは記されはいる。
コレ↓

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ここには宇宙戦艦ヤマト銀河鉄道999スター・ウォーズはあるがガンダムは無い。

つまりは、批判派も擁護派も皆んな読まないであーだこーだといっているのだ。

どうして、こんな妙ちくりんな事になっているのかは断定はできないが、おそらくネットにある本書のレビューから尾ひれがついて、こんな事になっているとしか考えられない。30年前ならともかくも、現在まで羽仁五郎の名を知っている者なんて自分のような少数な酔狂者くらいしかいないだろうし。

つまりマジで誰も読んでいないのに騒いでいたのだ。

だから批判派も擁護派も、まさに「自分の信じたいものを信じる」状況になっている様を見てまさに「なんだかなぁ~」なのである。


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