ここはオレのゴミ屋敷!

SFと読書感想・古物・古書などの事を書きますが、たいがいは取りとめのない話が中心になります。。

麒麟がくる

お題「気になる番組」
ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]

私事でチョイと古い話だが、父から電話があった。そして2020年大河ドラマの批評。というよりも自分に不満をぶち上げた。

家は祖父が勧善懲悪のチャンバラの大ファンだったのに対して、父は歴史的人物を題材にした歴史時代劇を好んで観る人だ。そしてオレはSFへと進む捻くれ者という、一般的な家族関係だとも言える。

だから父もオレはそんなものには興味は無いと考えていたらしいのだが、別れた伴侶が別れる前に、ついポロリとオレが観ている事を口走ってしまってから、それから大河ドラマ批評という名の不満のはけ口を受けるハメに。

それでも毎回・毎週・毎年という訳でもなく、例えば2016年の『真田丸』は毎週電話で聞かされたのだが、2017年『おんな城主 直虎』2018年『西郷どん』はチョボチョボ、2019年の『いだてん』は会った時だけ一言二言程度だったので、だからそれは自身の歴史知識と照らし合せて批判してくる仕様なのだ。 -- でも、その知識も小説からの怪しげなものからなので、推して知るべし!

そして、今回の『麒麟がくる』は毎週たくさん批判を聞きましたよ。(笑い😂)

そして、父の世代にあるあるの豊臣秀吉ファンなので、ここでの秀吉の扱いにオカンムリ状態。最終回の秀吉が(細川) 藤孝との密通し合っている件と秀吉の反応と対応には黒田官兵衛を持ち出してあーだこーだと。

まぁ、オレもその辺りは唐突に感じて、「池宮彰一郎 本能寺」にも書かれていた説を使ったのかな?とは感じたが。

ただ、最近の大河ドラマ歴史小説は使わず脚本家によるオリジナルが中心になっているので、展開を講談調とか、資料を使っての新説・斬新解釈ではなくて、資料と資料との間にある語られない隙間を使ってドラマを繰り広げる趣向になっているので、父の様なオジイサン世代には楽しめきれていないのかもしれない。

それでは、オレはこれをどう見たのかと言えば、シェイクスピアの戯曲『ジュリアス・シーザー』みたいだったな。が感情としては近い。ここの主人公はシーザーではなく彼を殺したブルータスにあるからだ。つまり、信長→シーザーであり、光秀→ブルータスな感じ。

国内の腐敗を改革してゆくうちに権力を上り詰め、それに怯えるところもだ。


ただ、ここでは、フィリッピの戦いを連想するところまではいかないのが、『ジュリアス・シーザー』とは違うオリジナルというべき味なのだろとは思う。改革は間違ってはいなかった。と訴えたのだと。

つまり、麒麟がすべての腐敗や不信を燃やし尽くして、新たな世になる土台を築いた。と考えるべきとも。

やっとタイトルに繋がった。(苦笑)